「社会の掟」
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第92話『ポケモンにかける時間から考える、「働き方改革」で残業が出来ない若者』

トラ
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こんにちは、トラです。

『働き方改革』という言葉が叫ばれるようになってから、数年でしょうか?

言葉は定着しましたが、実際に働き方は変わったんでしょうかね。

「プレミアムフライデー」なんてありました。始まったときに中小企業に勤めていたんですが、大企業限定の話だと遠目に見ていました。

過労死を防いだり、サービス残業の横行を防ぐという意味では、大変有意義だし素晴らしい改革だと思うんですが、成果を出したい・スキルアップしたいと考えている個人としては仕事がしたいけど出来ない状況に繋がる。

今回は、そんな働き方改革に潜んでいる落とし穴について話(フランケンラジオ第92話)です。

ポケモンの成果は、投入したエフォートの量に依存する領域

子供とポケモンやってたんですよ。
子供ってゲームの時間が決められてるので、大して強くならない。

お父さん的にもあしらう程度の関わり方でも十分戦えていました。

でも、だんだん子供がゲームに興味が湧いてきて、友達と遊んだり、交換したり、対戦したりして行くうちに、どんどんゲーマーとしてのスキルが上がって行く。

継続は力なりっていうけど、ルールの決められた領域、いわゆるクリックモーメント*で言うところの「社会規範が強い領域」では、突っ込んだエフォートの量に力が依存する。

小学生がガチで全エフォートを突っ込むと、完全に大人でも太刀打ちできないレベルになります。

全国からそんな強豪が集まってガチの勝負するポケモンの大会があります。
この大会で勝ちたいという目標を立てた時に、ウチだけ「1日1時間」にゲームを制限するとどうなるか、ゲーマーとしてのレベルってどうなると思いますか?

差別化出来ない労働は、個人のビジネスマンにとっては熱心さに関係なくクソである。

フランケン
フランケン

これは、僕が漠然と持っている働き方改革に対する印象の話です。

働き方改革って、色々な意味で企業にはありがたくない制度ではあります。
まあ、表立って意味のある政策ではあるんです。そこに文句つける気はさらさらない。

でも、このラジオは公的ヒアリングでもなんでもなく、「個人としてのビジネスマンが、社会や組織の中でどう振る舞うと楽か?」っていうノウハウを垂れ流すものだから、その観点から切っていこうって話です。

さて、ポケモンと働き方改革の話に戻りますよ。

ビジネスマンのライフハック系情報が口を揃えて言うように、差別化できない勤勉労働なんて、個人にとってはクソなんだってことはまず同意してもらわなきゃ話が始まらない。

フランケン
フランケン

熱心にやっても差別化できなければ、熱心さなんてクソなんですよ。

これがお前の仕事だよって、上から降ってくる仕事をやってるだけでは、一生その立ち位置から変わることはりません。
起業でもして自分だけのロジックで生きるって方法を取らないんであれば、組織の中で特殊な機能を持つ労働単位に自分を変えて行くことが絶対に必要です。規格品でない、特殊な労働単位であることを「力を持つだれか」に認識させる、コレが絶対条件です。

働き方改革は、ものすごく個人的な視座から見ると差別化のチャンスを失うリスクになってしまうかもしれない。
1日8時間で仕事に関わることを禁じられる。
これはポケモンの例えで言うと、これまでライバルと一緒に徹夜でポケモンやって鍛えてたのに、僕だけゲームは1日1時間、って言われちゃうようなものなんです。
そんな環境で世界一のポケモンマスターになれるわけない。

「いやいや、法律だから皆一律で、環境は一緒でしょ」なんて寝言は言わないでください。
ライバルって同じような立場の人なんかじゃありません。

既に自分よりポテンシャルや背景が有利な人たちっていうのが敵なんです。

今までのフレームワークの中で上手いことやった人たちと、イーブンに戦う武器をつけるための時間やチャンスがまるごと取り上げられるって言うのが致命的だって言ってます。

働き方のルール変更で発生した失敗の責任をとらされるのは、ルールに従った人間である。

時代の流れの中で、外からのルール改正で世代ごと区切られて、失敗したと言って世代ごと捨てられるっていうことがちょくちょく起こってきました。

捨てられた世代って、自分たちは変わったルールの中でいうことを聞いてただけです。なのに、最終的に捨てられる時には、その失敗の責任を自分たちの人生で背負わされるんです。

具体的に記憶に新しいところで言えば、「*ゆとり世代」があります。

*ゆとり世代:範囲については諸説あり、明確な定義は存在しない。一般的にゆとり世代と言われているのは、小中学校において2002年度施行(高等学校は2003年度)の学習指導要領による教育を受けた世代(1987年4月2日 – 2004年4月1日生まれ)

詰め込み型の勉強はダメだとか言って、カリキュラムはスカスカ、円周率は「ほぼ3」。
競争も良くないとか言って、評価しない教育思想がありました。
徒競走でみんな並んでゴール、その時のミリオンセラーは「世界にひとつだけの花」。
ナンバーワンにならなくていい、そんな空気でゆるゆるやったら日本の景気失速にもぶつかって、大変に残念な世代になったと上下の世代から思われています。

大切なポイントは、ゆとり世代の子供達は変わったルールに従順に従っただけで、本人たちのせいでもないのに戦闘力の低い人間たちにされちゃった。

始末に負えないのが、当時からゆとりなんて言ってる場合じゃないだろっていってた人間は、今まで通りの詰め込み教育を自発的に選択して、何事もなかったように前の世代に連結してること。
「ゆとり世代」の中の「ゆとらなかった世代」ですね。

アドバンテージを持った世代のマインドセットは変わらない

働き改革で、変わるものも色々あるだろうが、ここだけは絶対に変わらんというものがあります。
それは、改革前に下を評価する側に回った人間のメンタリティ。

フランケン
フランケン

誓って言いますが、これだけは絶対に変わらない。

これだけセクハラという概念が定着したにも関わらず、プレセクハラ時代の権力者、60前後のおっさんたちは、「セクハラセクハラ言う方がどうかしてる」って心の底から思ってる。

それと全く同じです。ポジションを持った人間のマインドセットは絶対に変わらない。

だから働き方改革で時間投入を禁じられた新しい世代の人たちは、改革前に山ほど時間を投入してスキルを伸ばした人間に対して極めて大きなディスアドバンテージを被っていることは覚えておこう。

ポケモンの例えに戻ると、お兄ちゃんが徹夜で育てたレベル100のポケモンと戦わなければならないのに、弟は明日からゲームは1日1時間とか言われちゃう。

お兄ちゃんの歳まで継続しても、レベル20くらいまでしか上げられないことが明白。
だけど、レベル100のポケモンを持っているお兄ちゃんと戦わなければならない。

ここから後の学年はみんなイーブンかって言うと、きっとそういう話にはなりません。
どこかのタイミングで変な抜け穴を開けられて、働き方改革しなかった世代と同じような価値観に緩やかに戻っていきます。その方が戦闘力が高くなるから。

世の中が元に戻ったら、今の世代だけ「働き方改革世代」なんて言われて干されることになりかねない。

だからなんとか改革前世代のポテンシャルには頑張ってキャッチアップしていかなきゃいけない。
目下の敵は、自分たちより上の、働き方改革が始まる前にポテンシャルを得た世代です。
ビジネスで数年分の差をつけられると、この差はちょっとやそっとで埋まらない。
日本はしばらく年功序列が惰性で進むのは明白ですから、序列だけじゃなく能力にも差をつけられちゃったら、一生かかっても埋められないタイプの差になっちゃう。
ここで言う差って言うのは、いわゆる錯覚資産含めて全部の話。
古い概念で選ぶ側に回った人たちの目には、新しい環境の人たちがどうのなんて考えない。
そんなもの、一切目に入らないってことを知っておいてほしい。

フランケン
フランケン

現に、僕らの業界でも、専門職に移行する前に総合業務経験を2年間義務付けられた世代がいた。

義務化前の人間たちにはその辺の事情は興味がない。
単純にその世代のことを、経験年数の割には使えないヤツっていう評価で括って使いづらいって思っていました。

そうこうするうちに、これじゃダメでしたってなもんで、この義務化は違う形に変化した。
ですが、ダメだった世代に対するケアは一切なし。これがこの業界の常識なんです。

制度によってディスアドバンテージを背負わされた世代は、まるごと捨てられてしまう。

働き方改革も、おそらく数年で穴を開けられて今と変わらない現状になります。

穴を開けるのは、使う側の世代ではありません。この世代にとっては、働き方改革なんて知らないでポテンシャルを得てきたから、この問題はどうでもいいものとして映ってます。
そういう人がどう人をピックアップするかというと、世代関係なく使える人を拾って使えばいいという程度にしか思ってない。

穴を開けるのは改革で労働チャンスを奪われて焦る側の人間の仕事になります。
この層が上の世代に対するキャッチアップと、同世代に対する差別化を狙って穴を開けに来る。
働くの8時間でいいんだ、とか言って毎晩ダラダラとスマホゲームやってる場合じゃないです。
こんな*末人みたいな生き方してたら、格差固定社会に真っ逆さまに落ちていきます。

*末人(まつじん、独: Letzter Mensch):フリードリヒ・ニーチェによる哲学によって用いられていた概念。『ツァラトゥストラはこう語った』で述べられ、超人の対極にあり、最低の軽蔑すべき者とのこと。末人というのは社会において生きる大多数の中流市民でもある。ーWikipediaより

働き方改革で空いた時間も、本業のボルテージは下げるな。自分を高める何かに投資しろ。

働き方改革で空いた時間の使い方を考えましょう。
この時間は遊びに使っていい時間じゃない。
自分のキャリアデザインに関係する何かに投資しなければ、後々とんでもない差に膨れ上がる可能性があります。
現職の労働単価を極大化を図る、いわゆる正面突破を目指すなら、上司に張り付くしかありません。

錯覚資産を大量に稼いで、何かあったときに声がかかりやすい位置をキープするしか頑張る方法がないでしょう。

なぜなら実務を取り上げられるんだから、積み上げられる資産が錯覚資産くらいしかなくなるんですよ。

正面突破じゃなくサイドビジネスを考えるなら、サボリーマンスタイルは避けた方が良いです。

サイドビジネスをやるために十分な時間が発生しちゃうわけだけど、本業のボルテージはむしろ下げるたら危ない。サイドビジネスが上手くいかない時、すなわち脱出ボートが沈んだ時、結局は母船に乗ってるのが一番賢かったなんてことになるかもしれない。
この時にサボリーマンをやってて評価がどん底だと、改革後世代は挽回どころか、ついていくこともできなくなってしまいます。

働き方改革で帰る時間が早くなった、大変結構なことなんですが、飲みに行ったり家でビール飲んで駄目だと思います。自分を高める何かに投資しないと、格差固定社会に真っ逆さまに落ちていく可能性があるから、インパクトに備えろ、って話でした。

トラの感想

今回の話を聞いて:揺り戻しは始まっている。コロナで厳しい方向に。

再びトラです。

1社の勤め人だけではどうにもならないと、サイドビジネス・スモールビジネスの糸口を探していましたが、今回の話を聞いて本業への取組み方をもう一度見直そうと思いました。

2020年に発生したコロナ禍により、僕が勤めている企業グループでも早期希望退職の話が出ました。今以上に残業へは厳しい目が向けられ、実務でチャンスを得ることが難しくなるかもしれません。

本編にあるように「穴を開ける」事ができても、ブラック労働が跋扈するような社会になるかもしれません。

限られた時間というリソースの中で、意欲と合格点超えの成果を見せる。
勤め人「+α」、この「α」を作り、育てる。

個人としては、この方向性でエフォートを投入していこうと思う回でした。

管理人
トラ
トラ
勤め人
アラフォーの勤め人。
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