ラジオ文字起こし
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第112話『視点、視座、視座 (前半)』

トラ
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こんにちは、トラです。

今回は、フランケンラジオ第112話の文字起こし記事です。

ビジネスパーソンが使う『視座』という言葉の定義を考える回、というよりはカッコいい言葉にツッコミを入れる前後半の回です。

フランケンラジオ第112話文字起こし

尊敬してやまないラジオコンテンツにツッコむ

フランケンの通勤ラジオです。
このラジオではですね、僕がビジネスライフハック的にちょっとこれいいかなとか思ったものを持ってきては録音して積んでおくっていう、僕の一人遊びみたいなラジオコンテンツです。

たまにですね、僕は自分のお気に入りのラジオコンテンツとかを聞いて触発されて、リスペクトする、リスペクトしているはずなのに、それについて話し始めて相手をディスる、という非常に無礼なことをやらかすっていう悪い癖があるんです。

今日はですね、僕が尊敬してやまない『ブックカフェ』の荒木先生のコメントに噛み付くという不遜なことをねやっちゃいますよ。

それは何かというと、「視点」とか「視座」とか、そういうビューポイントですね。ビューポイントについてのかっこいい言葉に、かっこいいって一瞬尊敬しつつ「あれ?なんか違うぞ」ってモヤモヤしちゃった話なんですよ。一回切ります。

理系脳と文系脳の違い。カッコいいけど定義無しで語れない理系脳。

えーとですね、荒木マスターは相変わらずかっこいいんですよ。

何カッコいい事を言ったかっていうと、この人すごいこと言ったんですよ。
視座っていうのは、「視る」って書いて、大座の「座」ですよね。

視座は高く、視野は広く、そして視点は多く。

これは響きとしてものすごくカッコいいんですよ。でも、いろんな定義なしでこの単語をこうやって語っちゃう。この人多分やっぱり文系なんだなあと思うんです。

全く僕共感できないんですよ、このカッコいいフレーズに対して。

これが理系頭ってやつなのかなって思います。

特に僕が一番引っかかる単語、ビジネスパーソン様が使う『視座』っていう言葉。

これがね、『視点』とどう違うのか、なんぼ調べても全く理解できないですよ。

今日はね、『視座』っていうなんかカッコいい響きの単語にケチを付けていく、理論武装までしてケチを付けていくという、そんな話です。

しなくていいですよね、本当は。だけど、ちょっとしたい気分なんですよ、僕の整理のために。

新卒の社会人と、偉そうなビジネスパーソン先輩の会話

あなたが新卒の社会人だったりすると、そこにいる先輩というのが偉そうに教えてくれるんですよ、多分。

先輩「いいか。視点と視座っていうのは違うんだぞ」

新卒社会人「え、どう違うんですか?」

先輩「視点っていうのは、視ているポイント。何に焦点を当てて視ているかっていうことなんだよ」

新卒「へー、見ている人のポイント(位置)だと思っていました」

先輩「いや、そういう言い方をすることもあるけれども、基本的には見ている人間の位置というのは『視座』って言うんだよ。視座が変わると、物の見え方が変わるよ。例えば、視座を高い場所に置くと見える範囲が広くなるでしょう。そういう風にして視座が高くなると、見える範囲は広くなって視野が開けるという風になる。覚えといたほういいよ」

新卒「ちょっと覚えられる気がしないです。でも、視点を変えるっていうのにはどういうことなんですか?いまいち視点が変わるっていうのと視座が変わるって言葉の違いがよくわからないですよ。だって、先輩が言ったじゃないですか。視座は見ている人のいる位置で、視点というのは何を見ているかなんでしょう?そうしたら、視座を変えないで視点を変えるっていうのはどういう状況ですか?見ているものが変わるというなら、それまで見ていたのと別の対象を見るということになるんですか?」

新卒「例えば見る人の位置が視座だっていうんだったら、同じ物事を例えば別の角度から見た時に変わるのは視座であって視点じゃないですよね。見ているものは同じだから」

先輩「……」

『円柱の比喩』で、『視点を変えろ』を考える

これを聞いた時に、この先輩は多分かっこいい言葉でバシって説明をしてくれないですよ。ちょっといないと思います、ちなみに僕だってできなかった。

この『視点を変えろ』という言葉と『視座』という言葉が、ビジネスマン様は大好きなんですよ。

で、殆どのそういう色んな情報は『視点を変えろ』っていうメッセージを、同じ対象を違う角度から見ろという意味合いで使っているんですよ。

この代表例っていうのが『円柱の比喩』やつですよ。

どういうものかというと、まず「はい、これを見てください」と図形を見せられます。

紙に真四角が描いてあります、そこで「これ、何ですか?」って聞かれると「これは四角です」って答えるじゃないですか。だって四角が描いてあるので。

今度はねあのねとか見せられるそれには丸が描いてあるんですよ。丸を見せられて「ねえこれ何ですか?」、じゃあ「これは丸です」って答えるんですよ。そうですよね、丸が描いてあるので。

そこで種明かしをされるんです。

「実は、見ている対象というのは実は円柱でした。円柱なので、真横から見ると四角く見え、真上から見ると丸に見える。見方が変わると、同じものでも物事は違って見えるということです」という風な説明で、「視点を変えろ」ということを説明されるんですよ。

円柱の比喩参考図
『円柱の比喩』例

このメッセージそのものはとても分かりやすいし、メッセージの内容も明確なんですよ。

このメッセージが持つ主旨については、もう完全に同意申し上げるっていうところなんですが…。

ちょっと待って下さい。

視点の説明として、これ全くもって間違っていますよね?この円柱の例えでは、変わっているのはカメラポジションですよ。どこから写真を撮ったかという話なのだから。変わっているのはカメラポジションであって、どこを映しているか、という『注視点』ではないんですよ。

円柱を見ている事は間違いなのだから、見ている対象は変わっていない。

じゃあ変わったのがカメラポジション、見ている人間の場所だったら、それはビジネスパーソン様達が言うところの『視座』ってやつになるんじゃないでしょうか?っ

て、僕は思うんです。

ビジネスパーソン様が使う『視点』は『注視点』のことである。

あえて僕が意地悪くこういう例えを取り上げるのは、これが視座の例えと視点の例えの両方で頻用されるんです、同じぐらいの頻度で。

でも本当にひどい説明になると、同じ本の中で『視座を変えるとは、視点を置く位置を変えること』と、「おい、ちょっと待て」っていう文章を平気で使ったりするんですよ。

嘘だと思うんだったら、ネットで『視座 視点』で調べてください、カオスです。

さて、何でこんなことになっちゃったかというと、これは僕の想像ですけど、おそらく視点という言葉が持つ概念っていうのを誰かが根本的に混同したのではないかなと思っています。

それでですね、理系の世界、特にカメラとか扱う世界、ここの常識を供覧させていただきますか。まず、ビジネスパーソンが仰っている視点とは何を見ているかというのは、カメラ用語だと『注視点』と言うんですよ。注視するとも言いますね。

英語ではgaze point、これが注視点です。 “I gaze it.” で「私はそれを見る」です。

“I gaze it from a Scientific viewpoint.” という形で、「科学的見地からそれを見る」。

私がいるところ、それがビューポイントであり、『視点』と訳す。

ですから視点とは目の位置で、何を見ているかっていうのは注視点。

この二つ、これで僕の中では完結しているんですよ。他に解釈なんて本来無かったですよね。

英語に訳せるから正しいというつもりはないんですけども、英語ってロジックのはっきりする言語なので、グチャグチャしているものを整理するにはぴったりの言語ではあるんですよ。何より日本人以外の人間の話している時に通じないと非常に不便だし。

ビジネスパーソンが言うところの「視点を変える」で変わっているのは視点じゃなくて注視点、何を見ているかっていう注視点だから、その見る対象・オブジェクト・ターゲットが変わっちゃうっていうことになるんですよ。

ターゲットが変わる時に、ビューポイントは使わない。

ですから、ターゲットが変わるという意味でビューポイントが変わるという風に表現すると、「えっ?ちょっと何言ってんの?」って話に普通なりますよね。

調べてみると明白なんですよ。

『視点』の英訳から見る、『視座』の存在意義

『視点』を英和辞典で調べたら、出てくる例文は全部、見ている位置という意味の使われ方をしています。( from a ~~ viewpoint / from someone’s viewpoint )、あるいは、( take another viewpoint) 。ですから viewpoint、視点っていうのは、take して from そこから見るっていう捉えなんですよ。目の位置が『視点』です。

視座っていうのを和英で調べると、ちょっと面白いんですよ。

これを調べると、あえて言えばview pointかなっていう感じで取り上げられているんですよ。英文はほぼほぼ100%、何かの英語で書かれた書籍を和訳する時にview pointを『視座』と訳したっていう、こういうタイプの例をを挙げています。

一般的にview pointっていうのは視座ではなく視点と訳すんですよ。

だけどたまに視座って訳しちゃっている人がいるっていう話ですよ。

おそらくこういう和訳をする時に作った造語なんじゃないかな、視座って言葉自体が。
そういう風に僕は調べていて思いました。
ちなみに「どこを見る」っていうのはgazeだって言いましたよね。
gaze pointは注視点であって、間違っても視点と和訳されることはありません。

多分これは特許の用語なんですよ、gaze point・注視点は。ですからそこの部分でそうなってるんだと思いますよ。

ちょっと紛らわしいものに、フォーカス・焦点というのもあるんですよ。注視点とフォーカスという名の焦点はちょっと違うんです。

フォーカスっていうのは、見ている焦点深度、距離なんですよ。

ですから視線そのものは変わらない。カメラでパシャって撮った時に、中央に何が写ってるかっていうのは変わらないですよ。その代わり、フォーカスがずれると絵がボケるっていう話ですね。

視野の中心ていうのはフォーカスが変わっても変わらない、gaze pointが変わると視野の中心ってのが変わるっていうことですよね。

ここね、なんでうるさく言うかっていうと、やりあった思い出があるんですよ、このフォーカス・gaze、特許関連で。これはまあ、いいか。

まとめ。後半に続きます。

ここまでをまとめますと、理系の世界、カメラ業界も含めて特許の世界と英語圏、ここでは視野・視界の概念の中では、何を、どこから、どの倍率で見るのかっていう以上の概念というのはないんですよね。

何を、ていうのは理系の世界で注視点なんです。ビジネスパーソン様達はこれを視点とのたまう。

どこから見るか、このどこからというのは理系では視点といいます。ビジネスパーソン様は視座だったり視点だったりしているんですよね。まあ視野はどっちも視野ですよね。

そう考えると、「視座いらなくね?」って話ですよね。

こういうことを言うとね、「お前たちの世界ではどうだか知んないけれど、俺らの世界では視座って使うんだよ。そうなんだよ」て言われちゃいますよね。そりゃ言うでしょうよ、実際に使っているんだから。

じゃあちょっと長くなって僕も息が枯れてきたので、この辺で切ってですね、後半では文系世界のお話っていうのと、ビジネスパーソンの言う『視点を変える』という表現の当時性の無さ、視座いらなくないですか問題、ここを深掘りしていきましょう。

なんか嫌なことあったんですか?嫌なことはなかったんだけど、モヤモヤした。

そんなことをして誰が得するのかって、そりゃあ僕が楽しいからに決まっているじゃないですか。

だけどちょっと気を付けないけないですよ。これね、一番最初に視座、視野、あるいは視点、この話を荒木先生のブックカフェを聞いて、ちょっとかっこいいなと思って始めました。

なのに、いつのまにか悪口を言っているっていうとんでもないコンテンツになっていて、決してディスっているわけではないので、ここのところはまあ誤解のなきようといったところで後半に進む!

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勤め人
アラフォーの勤め人。
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