第132話『「本棚を見れば、その人の精神構造が分かる」が意味する、思考とインプットの話』
こんにちは、トラです。
今回は、フランケンラジオ第132話『本棚のない人』の紹介記事です。(ベースは文字起こしした内容ですが、書き言葉にしたり、一部編集を加えています。)
ラジオの内容は、情報のインプット(主に書籍から)に対する姿勢と思考構造のデザイン、そして自分の思考をデザインできない人が持つリスクについてのお話です。
飲茶先生の書籍の一節『本棚と精神構造』
フランケンの通勤ラジオです。
このラジオは、僕がちょっと気になったようなことっ録っておいて、後で筋トレしながら聞いてクスクスするっていう一人遊びです。
最近本を読んでは感想を吹き込むっていう、本当にもう日記みたいな使い方してるこのラジオなんですけど、待ちに待った飲茶先生の新刊が出た日に買って読んだので、その話をしようかなと思います。
それではですね、飲茶先生の新刊本のタイトル「正義の教室 善く生きるための哲学入門」ですよ。
本の内容については話しません。なぜならですね、僕には能力がないので話せないからです。
結局一言で言うと、「面白いから読め!」以外のメッセージになんて僕の中から出てこないです。
そんなわけで今日はこの本を読んで、本体とほぼ関係なく気に入ったフレーズを引っ張ってくるという話です。
『「本棚を見ればその人の精神構造がわかる」というそんな話を聞いたことがある』っていう一文です。ここにですね、ちょっとしびれちゃいました。ここが主題でも何でもないんですけど。
この「本棚と精神構造」っていう話をしましょう。
この本棚っていうのを持ってない人、物理的な意味っていうものだけでなくてね、あらゆる意味で書籍のようなインプットというのを一切持たない人種っていうのがいます。
全ての知識や思考っていうのは、自分のみの経験と、簡単な伝聞、耳に入ってきたものと刹那的な情報媒体によって形作られてるっていうような、そのもう完全にパッシブな感じの人がいます。
「どんな本を読みますか?」という問いで得られるもの
昔はよく「本は読みますか?」という問いをしました。「本は読む?」と聞かれて「読まない」という人、昔は少なかったけど今は多いです。
でも読まないまでだったら、僕も驚きません。ちなみにこの「本は読む?」というのは思いっきり相手をバカにした質問で、「読むの当たり前じゃん」と思われたんですよ。
これはどんな本が好きですかっていう意味で昔は聞きました、読むのが当たり前だったから。
どんなインプットを好みますかっていう意味の問いで、この答えに相手の色々なバックグラウンドっていうのが浮かぶし、答える方もどのような知的バックグラウンドを持っているかを簡単に伝える方法でした。「こういう本が好きです」というのは。
ですけれども、いつのまにか「本は読むか?」と聞かれると「本は読まない」と答える人が猛烈に増えた気がします。この「本は読まない」という答えが意味するところの答えは、だいたい2つです。
1つは「紙の本とかしっかりした本っていうのは読まない。何らかの情報媒体をメインのインプットにしている」という意味で読まないと答えるパターンですね。昔で言えば、「とんと読む時間はありません。もっぱら新聞を眺めるばかりです。」みたいな意味合いで、今なら大抵がネット上の何かを指すことが多いんですけれども、それでもこの人達は何らかの方法で情報を自らインプットする意思は存在する人達ですね。
パッシブな情報を蓄積して、広告が頭に刷り込まれた人たち
僕はもう一方の意味で本読まないと答える人たちが、ちょっと苦手というかよく分かりません。
どういう人たちかと言うと、文字情報から完全に距離を置いちゃってる人たちっていうのがいます。本どころか、新聞もネットニュースとかも読むことを一切しない。全く情報取らないというわけではないんです。少なくとも自分から情報を取りに行かないタイプの人たちが、「本読まない」って答える人達です。本当に目や耳からポロっとパッシブに入ってくる情報だけ。頭の中に蓄積するようなタイプですよね。
これは僕の偏見かもしれませんが、こういう答えをするタイプの人達って。やたらとテレビの話題に詳しい気がします。テレビは見てるかもしれません、こういう人達。世の中で起こってることは皆知ってるんですよ。”流行りの何々”みたいな、知らなくても大丈夫なことばかり知ってるんです。
ちなみに大部分の人たちがお笑い芸人の流行りについていけてる、これはすごいことだと思います。
お笑い芸人の流行りって、流行っているからテレビで取り上げられてるんじゃなくて、これを売り出すために露出を上げて流行らせようとしてるんです。そういう芸人って。いわば人為的に作った情報価値であって、完全にパッシブ(受動的)に刷り込まれた価値観ですよ。これをいっぱい溜め込んでいることは、、パッシブの刷り込みがよく効いているという意味で、同じくらい多くの広告商品っていうのが潜在需要としてね頭の中に日常的に刷り込まれてるんだろうなって思います。
お笑い芸人のネタを知ってる数だけ広告・CM が頭に刷り込まれてるんですよ、こういう人たちの。
ですからテレビ広告の効果を検証したいと思ったら、街頭で無作為にお笑い芸人の新しいネタが浸透するスピードでも測定すりゃいいんですよ、それで正確にわかると思います。
情報を自分で取りに行かないメンタリティのリスク
こんなの当たり前の話なのかもしんないですね、ちょっと話がそれました。
今日は本を読まないと言う人達も、あの後者の意味で、全く情報を自分で取りに行かないっていうこのメンタリティが持つリスクについて僕の思うところを話しておきたいと思うんですよ。
本を含めた文字情報全般に言えることですが、読むために考えられた文章っていうのは情報の密度と情報の完成度、これが他の媒体と比べて段違いに高い。文字が持っている情報量が多い、読ませるために考えられた文章には。そして一般的に情報そのものに一貫性があって、その発信者はその文章を書いた人の責任ないし、そういったものが付加されています。
ですから物を書く人が文章を書くときに、どういうスタンスからメッセージを発しているのかとか、大きな矛盾がなく過去に根ざした情報と一貫性があるかとかが、本はある程度以上に保証されてるんです。だから書籍の情報はある程度以上に信用できると僕は少なくとも思います。
それらを自分で選ぶ、信頼できる情報を自分で選んで脳みそに置く、能動的に本棚に置く。これがある程度の分量溜まった時に、この本棚を見ればその人がどのような思考をする人間か分かるという事なんです。
先に出た、この飲茶先生が書いたかっこいい文章「本棚を見れば精神構造がわかる」というのはそういう意味ですよね。ただ単に思考だとか好き嫌いが分かるという意味じゃない、思考の構造がわかるようになるというところがミソです。
主観的な経験と受動的なインプットのみの思考は脆弱
思考が構造化されているって、これはすごい大事なことなんです。
頭でものを考えるやり方というのは、構造化されて初めてインプットに対しどのようなアウトプットで出力されるかの説明ができるようになります。構造化されてなかったらパチンコと一緒だから、インプットに対してアウトプットがどう出るか読めないということです。
アウトプットが一貫化する、どのようなインプットに対しても同じような出力をするという、そこまで構造化してるということは脳の機能として大事です。でも本当にパチンコみたいにランダムに玉が転がるようなものの考え方をしていたら、目も当てられないですよ。
そうゆう人っていますよね。もちろん主観的な経験や受動的な世界から入ってくる経験からだけでも、何らかの思考構造を構築することはできます。できますが、こうやって経験だけで構築した構造というのは、非常に脆弱です。
まずインプットに対する処理の構造をいっぱい持ってなければ、自分が実際に行おうとする処理の可能性が何個かあったとしても、それの優劣を予測できないんですよ。
少なくとも自分以外の人間がどう考えるかっていうことも、予測することはきっとできません。自分の引出しがないから。そうなってくると他者との関係で優位を保つことすら不可能です。なぜなら相手は何を考えるかわからないから。あと、経験したことのないインプット、それに対応する能力が欠損します。
最悪の場合、アウトプットがもう本当にパチンコ玉のように場当たり的に出るだけになるんです。
そのような場合には、自分でも自分の行動というのが、なぜそういうことしちゃうのかという説明ができなくなることが多くなります。だから子供とか、思考が構造化されてないから何をやるか分からないでしょう。あれね、本人もわかってないんですよ。
そういう大人が最近いっぱいいるんじゃないですか、っていう風に僕はもうね、いやらしい言い方するけど思うんです。そしてそういう人はいっぱいいます。
本から思考構造をデザインするのは、簡便なライフハック
自分の思考の構造を自分でデザインできないっていうのは、畢竟ね、他人があなたの脳に詰め込もうとする思考の構造というのを無抵抗に受け入れるということなんです。
洗脳されやすくなるっちゅうことなんですよね。耳から入る情報あるいは思考を経由しない視覚情報としての短文、例えばね30文字ぐらいの読むでもなく見るでもなく頭の中にするって入ってきちゃの視覚情報としての文章です。
最初に言った、音を、耳から入る情報これらをねあの受動的ね聞こえるから目に入るからって言ってね頭の中にその溜め込んでいくっていうのは自分の判断力を放棄して他人に都合のいい脳みそを作るっていう愚行だっていう風に思っていいと思いますよ。
具体的には、聞くでもなく。耳に入ってくるテレビやラジオとか読むでもなく。目に入ってくるような Twitter とか広告とかの雑情報ですね。あのパッシブに与えられるほぼ全ての情報に少なからずねそういった側面があります。
情報というのは自分で吟味して、それを頭の中に整理して詰め込む癖を付けなさいという話ですわ。
こういったパッシブの情報だけを溜めこんでいるのは、構造的な思考を行わなず、誰かの詰め込んだ思考ルーチンの中から上書きされた順に新しいものを再生して吐き出すという様な単純な脳になっていきます。
ですから流行りの大型商品を欲しくもないのにローンを組んで買っちゃったりだとか、たいして勉強もせずに、いきなり会社をズバッと辞めて言われるがままに起業するとか、なんとなく仮想通貨を大量に買い込んでるとか。それであまつさえ後々それを後悔したりするのを見るにつけ、この人の脳ってどうなってんだろうかって僕ちょっと不思議になりますよねやっぱり。
やっぱり本からロジックを吸収して、自分の思考の構造を自分でデザインする。これはこれまでに人類が営んできた、最も簡便なライフハックです。ですから自分の本棚をデザインして自分で持ちましょう。これが僕の今日の結論です。
そしてこの本棚を自分でデザインしないということは、非常に大きなリスクになるんですよっていう話でした。でもこれを「本読まないよ」っていうタイプの人には絶対響かない話ですよね。
なんか嫌なこと言いましたけど、今日はそんなこと思ったわけですわ。
飲茶先生の本が素晴らしいっていう話をしようと思って、本読まない人を腐して終わるっていう。。
最低ですわ、最低。だけどそんな話でした。
頭の中はもちろんだけど、物理的な本棚を持ったほうが良いと思う。
再びトラです。
今回のラジオ本編では、自分の思考構造を自分でデザインしようということが語られていました。他者に刷り込まれた情報や価値観だけで自分の頭の中を満たしてしまうと、一貫しないいきあたりばったりの選択を繰り返す人生になってしまう。非常に大きなリスクを抱えて生きることになる。これは恐ろしいことです。
脳内はもちろんですが、僕は物理的な本棚を持つことも大事だと思います。自分の興味関心や自身の知的バックグラウンドを俯瞰できる状態が作れます。まあこんなことを書いていますが、私自身は本棚を購入して到着を待っている状態(2021年1月上旬時点)なのですが。